素直に受け入れ笑えるなら私もっと得な人生歩めたと思う
上の句で私が乗れなかった原因は「わざとらしさ」。それを1番感じたのは國村隼の原田先生で「若者を導く身近な師でございますよ」演技がわざとらしくて見ていられない。國村さんは映画やテレビで何十回も見ているはずで、一度もわざとらしいなんて思った事ないのに。ちはやの白目ギャグも「ここが笑うところですよ」とお膳立てされすぎてて笑えない。この映画がヒットし皆が褒めていることに寂しさを感じる。一人置いていかれバスを追いかけて「待ってみんな・・」と走っている気持ち。そうだった!「私が見たくもない映画がなぜヒットしているのか」という疑問がこのブログを始めたきっかけだったと、思い出しました。
とは言え下の句はわざとらしさ控えめで(見慣れただけか?)近江神宮に着いたところから面白くなりました。やはり仲間が欲しくて何かをするのではなく、好きな事をしていると仲間ができるというのが順番だよね。その点で言うと、上は下の壮大な前フリということになりますが、それでよろしいですか。
胸キュン度 |
60% |
太一が新に電話するところ。自分の弱音をライバルに相談して相手を元気づけるという |
共感度 |
60% |
新がD級の試合を見て気持ちに小さな火がポッとともるところ |
寸止めドキドキ度 |
1% |
冒頭のわざとらしい地面ドンは少しでもドキドキを入れようとしたのかな |
山あり谷あり度 |
50% |
103分が長く感じちゃったな。最後の最後のシーンは蛇足だと思うけどそこが少女漫画映画 |
俳優の魅力 |
50% |
松岡茉優ちゃん、目線だけで凍らせる女王の風格 |
レクターのレビュー
明らかに一人だけレベルの違う若手がいるのですが・・・
日本と同じくハイスクールを舞台にした映画が量産されているアメリカでも、それらが若手俳優の登竜門になっている傾向は変わらない。違うのは、アメリカでは俳優に演技力が優先的に求められ、日本では芸能事務所の斡旋や、俳優のブランド力が優先的に求められている点だろう。だから、日本のハイスクール映画では、見た目だけが綺麗なモデルたちが、芝居のようなものを自己陶酔とともに披露する様を見せつけられる羽目になる。『ちはやふる』でもそれは基本的に同じだが、俳優が等身大の役柄を割り振られているので、些かながら鑑賞時の苦痛は和らいでいる。むしろ、終盤15分のスーパースロー大会のほうに呆れた。そんな中、松岡茉優だけがお遊戯レベルの高校生軍団の中で一人だけ、「芝居」を行なっているのに驚愕させられた。少年野球に全盛期のイチローが混ざっているよう。特に受けの芝居が秀逸。松岡が制服を着られる間は、日本の少女マンガ映画およびハイスクール映画は、彼女をブッキングできるかどうかで成功の是非が変わるだろう。
胸キュン度 |
5% |
テンポが遅すぎで胸キュンなど起こらない |
共感度 |
20% |
雨の中でずぶ濡れになって人を待つヒロイン・・・。家に入れてもらおうね。 |
寸止めドキドキ度 |
1% |
そういうものでもない |
山あり谷あり度 |
1% |
原作を読んでいるとはいえ、最後まで予想通りの内容だった |
俳優の魅力 |
50% |
全て松岡茉優一人への数値 |
chihayafuru-movie.com
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